生活保護は「みんなの暮らしの最低ラインを守る」とりで

しんぶん赤旗 2025.8.21付より

:「生活保護のニュースか…。正直、働ける人は働けばいいのにな。やっぱり生活保護って甘えだよな。」

:「うーん、実はそう単純じゃないのよ。病気やケガで急に働けなくなったり、会社が倒産したり、誰でも必要になる可能性があるんだよ。」

:「でも、俺たちには関係ないだろ?受けてる人の問題でしょ。」

:「それがね、関係あるの。生活保護の基準って、ただの給付額じゃなくて“最低限の生活水準”の物差しなの。例えば、公営住宅の家賃、子どもの学用品や給食費の援助、さらには最低賃金の算定にも使われてるんだよ。」

:「え、最低賃金まで?それ下がったら俺たちの給料にも影響出るじゃん。」

:「そういうこと。だから基準が下げられると、受給者だけじゃなくて働いてる私たちの生活水準まで引きずられて低くなるの。社会全体の“生活の底”が沈む感じかな。」

:「なるほどな…。じゃあ、この裁判って受給者を甘やかしてるんじゃなくて、みんなの暮らしの最低ラインを守るって意味があるんだな。

:「うん。『いのちのとりで裁判』って名前もそういう意味でつけられてるのよ。私たちが安心して暮らせる社会の“砦”を守るってこと。」

:「そっか…。ニュースで聞いてもピンとこなかったけど、そう考えると大事な裁判なんだな。」

:「そうだね。誰もが“もしもの時”に守られるって安心感がある社会の方が、私たちにとっても暮らしやすいでしょ。」

:「…うん、俺、考え直すわ。甘えなんかじゃなくて、俺たちの生活も守る仕組みなんだな。」

 

「いのちのとりで」裁判の意義って?

  1. 憲法25条(生存権)の具体化

    国がどの程度まで「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべきかを明らかにする試みです。基準が恣意的に下げられるなら、憲法の保障は形骸化してしまいます。この裁判は、その「下限」を社会に問うものです。

  2. 行政の裁量をチェック

    基準改定は専門性が高く国の裁量に委ねられやすい分野ですが、根拠が不十分なら裁判でコントロールされるべきです。民主的統制の一環としての意義があります。

  3. 社会的弱者の声を可視化

    受給者は声を上げにくい立場にありますが、裁判を通じて「生活実態」「引き下げの影響」が社会に共有され、偏見や誤解を正すきっかけになります。