2012年9月議会一般質問 広瀬さなえ:教師の多忙、いじめ根絶、35人以下学級の実現

2012年9月議会 一般質問

2012年9月13日 日本共産党議員団 広瀬さなえ

日本共産党議員団の広瀬さなえです。
教師の多忙問題について、いじめ問題根絶と中学校3年生までの35人以下学級の実現について質問します。

尼崎市の小学校教諭の過重労働が認定された裁判をご存じですか?
尼崎市の小学校教諭が地方公務員災害補償基金を相手にたたかい、公務災害認定を求める裁判に勝利したのです。

原告は、2004年3月16日5校時終了後、突然気分が悪くなり救急車で病院へ運ばれ、くも膜下出血と診断されました。緊急に手術をうけましたが、脳梗塞後遺症による四肢麻痺などの障害がのこり、今も病院で療養生活を送っています。原告は、当時、6年生の学級担任をしていました。1週間後の3月23日の卒業式にむけて激務をこなしていました。また、子どもたちを立派に卒業させたいとの思いから、さまざまなとりくみをおこなっていました。図書教育担当などのしごとを沢山受け持ちがんばっていました。原告の発症直前の時間外労働は、自宅での持ち帰り仕事をふくめると150時間を超えていました。しかも、発症に近づくに従い、時間外労働が増加し、直前の1週間は40時間を超えていました。

基金は①公務過重があったとはみとめられない②持ち帰り残業は認めないとの立場で、発症前1カ月154時間の時間外勤務のうち、認定したのは、わずか30時間ほどでした。

神戸地裁での裁判は2009年7月から2011年12月まで2年半にわたって争われました。この裁判で弁護団が重点をおいたのは「持ち帰り残業」の立証でした。裁判では原告の授業を除くすべての業務を20項目に分類整理して、業務遂行に必要な時間を推定し、3学期が始まる1月8日から被災前日の3月15日までの間、原告が、いつどこで何をしたのかを1日ごとのタイムテーブルにした表を作成しました。学校の現場をしらない裁判官でも原告の勤務実態が目に見えてわかるような表になりました。

時間外勤務は発症前約2カ月で266時間にもなり、週当たりの平均時間外勤務時間は25時間となるのです。
原告は、朝は8時ごろ出勤し、午後6時ごろ学校をでることを常とし、常に、仕事を持ち帰り、休日も出勤することが多かったと聞きます。

Q1、質問します。
「忙しい」などと言う言葉では言い表せません。教師もいのちを奪われかねない異常さであると考えます。解決すべき問題であるとの認識を教育委員会はもっていますか?

[答弁要旨]
教師の業務といたしましては、日々の授業はもちろんのこと、成績処理や校務分掌上の事務、また年々多様化する保護者への対応、さらには部活動の指導等多岐多様に及んでおります。

また、教師の意識としましても児童・生徒のために全力で取り組み、労力や時間を惜しまず職務にあたることから、それらが教師の多忙化につながっていることは十分に認識しております。

そうしたことから、教育委員会としましても、教師が心身共に健康を維持・増進するとともに児童生徒と向き合う時間を確保し、教育活動をさらに充実させるためにも、勤務時間の適正化に努めなければならないと考えております。

2012年5月15日付けの労働裁判の事例集である判例タイムスには「原告の公務の特徴」についてこう書かれてありました。

「原告の本件疾病発症前1カ月間における時間外勤務時間は合計140時間に及んでいる。また、原告は、平成16年2月14日以降のすべての休日に休日勤務を行い、発症2日前には10時間の休日勤務を行っていた。また、原告は、卒業間近の6年生の担任教諭として、期限のある成績評価や文集、卒業カードの作成等を行っていたうえ、図書主任や学年卒業記念文集作成責任者、書教育研究会幹事長などの責任ある地位についており、原告の公務は期限に追われたものであった」

これで教師の忙しさの現状のすさまじさがわかります。

判例タイムスには、小学校教職員の公務の一般的特質や勤務実態等としてこう書かれています。

「教職員の公務は、その特質として、多様な児童及び保護者を仕事の対象者にしているため、児童1人1人に気配りがもとめられるが、げんざいは、やる気のある児童が減少する一方で学校に対するクレームや要求の多い保護者が増加していく状況にある。
また、学校公務についても、学習指導、教材研究及び学級運営等に関し、多様できめ細かな内容が要求されるようになって過密化多様化しており、教職員は、個別の支援の少ない状況で学習指導等の多種多様なカリキュラムに積極的に対応する個人的努力を求められるため、仕事の量的・質的負担は大きく、多忙な状態になっている」

として、教師の仕事は、授業をするだけでなくそれ以外にもたくさんあること、そのしごとの中身は専門家としての質の高さが問われるため、負担が大きいこと、そのために、判決は、多忙な毎日であることを認めざるをえませんでした。

兵庫県の超過勤務に関する通達の項ではこう書かれています。

兵庫県教育長は、H21年3月25日付けで各県立学校長、各教育事務所長、及び各市町組合教育長に対して県内の公立学校(ただし、神戸市立学校を除く)を対象とした勤務実態調査に照らし、教職員の超過勤務を20%から30%削減することを目標とすることなどを内容とする「教職員の勤務時間の適正化について」(通知)を出しています。

Q2、質問します。
通知がだされる前には教師の超過勤務の実態はどうであったのか?
通知がでてどんな対策をとったのか?
それにより、超過勤務は減ったのか?
お答えください。

[答弁要旨]

兵庫県教育委員会において、教職員の多忙化の要因やその改善を図るために「教職員の勤務時間適正化検討委員会」が設置され、平成21年3月「教職員の勤務時間適正化対策プラン」がまとめられました。

その背景として、平成20年度に県教委が実施しました教職員勤務実態調査で、1日あたりの教師の超過勤務時間の平均は、小学校では1時間58分、中学校では2時間33分となっており、本市においてもその実態は、同程度だったと推測されます。

これらを踏まえ、本市におきましても平成21年度から学校と連携して「教職員の勤務時間適正化対策プラン」に基づき、「ノー残業デー」「ノー会議デー」「ノー部活デー」の実施や部活動の終了時間の設定、校務のICT化に向けデータベースによる生徒の名簿管理や指導要録作成等のための校務支援ソフトの導入を行うとともに、他の学校での業務改善事例の活用を奨励し、教職員の超過勤務時間の縮減に努めてまいりました。

これらの取組により、超過勤務時間については、縮減傾向にあると考えております。

教育委員会といたしましても、今後とも学校業務の一層の改善を目指した取組を進め、心身ともに健康な教職員による豊かな教育が行われるよう各学校を指導していきたいと考えております。

これで第一問目の質問を終わります。

<2回目登壇>

ノ―会議デ―、ノー残業デー、ノ―部活デ―等を実施している。モデル校を創って検討している。超過勤務は減ったのかについては、今後アンケートを取るとの答弁でした。実際の超過勤務がいくらなのかがわからないと超過勤務は減らされません。現場の声を聞いてみると、「記録簿をつけても何ら改善されないので付ける気にならない」といって付けていないという実態も聞きました。教師の仕事は人間を育てる仕事です。ものをつくるのではないのでこれで終わりとわりきれないのです。だから、①ムダをなくす②効率化でしごとの全体量を減らすとしても「子どもの人格形成と知識と体力、情操を子どもの発達に即して身につける」ためには、楽しい授業を準備し、どの子にも目を配り続けなければなりません。健康で、そのしごとを全うしようと思えば、少人数学級の実施や教師の数を増やす以外ありません。そうしなければ、命を縮める教師や病気になったりする教師がでてきます。そうならぬように、教育委員会は尼崎での裁判から教訓を学ぶべきです。

次は、いじめ問題根絶と中学校3年生までの35人以下学級の実現についてです。

さて、大津の事件がおきて、テレビをみていると、「警察が入った」との報道があり、「学校に警察が入ってなにが解決するのか?」というのが私の大きな疑問でした。学校の中のことをどうして学校で解決できなかったのか?この答えが知りたくて、この夏、神戸で開かれた、教師、民間研究団体、保護者が共催する「教育の集い」に行き、「子どものいのちを守り人間としてたいせつにする学校、地域、社会を考えるシンポジウム」と分科会に参加しました。

「子どもの人権110番」で活動する弁護士の村上裕さんは「学校を警察にあづけると子どもは取り調べの対象になり、学校がのびのびと学ぶ場所ではなくなる」「学校の先生を抜きに調査をすれば学校崩壊となり、非常に不幸だ」「学校は子供たちの尊厳が守られ、SOSを発信できる居場所でなければならない」と指摘し、「そうでない学校が見慣れた風景にならないよう、感覚を研ぎ澄ました教師集団としての専門性が問われている」と語りました。私もそのとおりだと思いました。

尼崎の子どもがいじめが原因で自殺したりすることがないように、警察が学校に入らなければ、解決できないということがないようにとの思いで質問していきます。

「教育の集い」では、今回のいじめ問題解決にむけて国民へのアピールを発表しました。討論で共感的に受け止められたのはつぎの5点です。

① いじめを暴力や人権侵害の問題としてとらえること
② 教職員が子どもの命と人権を守ることをなによりも大切にする感覚を研ぎ澄ますこと、それはいじめられている子どもに対してだけでなく、いじめている子どもにも同様であること
③ 子どもの中にこそ解決の力があり、それを引き出すことが大切なこと
④ 保護者、教職員が敵対関係に陥るのではなくともに力をあわせた学校づくり、地域づくりが求められていること
⑤ 「競争と管理」「自己責任」を基調とした新自由主義的な「教育改革」が子どもたちばかりでなく親や教職員など子どもに関わる人々に多大なストレスを与え続けており、この抜本的な改善なくしては根本的な解決はむつかしい

以上の5つの観点で質問していきます。

まず、一つ目の観点
 「いじめを暴力や人権侵害の問題としてとらえること」についてです。

大津のいじめ自殺事件をうけて、尼崎市は、今まで1カ月ごとのいじめに対する報告をいじめだとわかればすぐ報告するようにしたとのことです。対応がはやいほど解決しやすいということはあたりまえのことですから、いいことだと思います。

さて、文科省の「いじめ調査」のいじめの定義が変更されています。

「一方的に継続的で深刻な痛苦を感じているもの」から「継続」の文字と「深刻」の文字がなくなりました。その上に、H19年からは発生件数から認知件数へと変更になっています。

定義の変更でいじめの数は増えるはずです。ところが、尼崎市のいじめの数は減っているのです。小学校は、H21年度、H22年度、H23年度で8件、7件、8件と横ばいです。中学校は20件、17件、3件となっています。

Q3、質問します。
尼崎市では、いじめが少なくなっているのか、見えにくくなっているのかどちらですか?

[答弁要旨]

学校において、子どもたちは多くの人との関わりの中で精神的な成長を遂げており、時には友人とのトラブルに合うことがあります。子どもの感じ方によっては、それをいじめと感じたり、けんかと感じたり、様々です。

そこで、学校はあくまでもいじめられた側の立場に立つという認識のもと、個別の状況を把握し、いじめの問題かどうかを判断しております。

いじめの報告件数に関しましては、学校がいじめと認知し、子ども同士での解決が難しく、学校が関わった件数であります。

今後もさらに、子どもの実態把握に真摯に取り組み、未然防止・早期対応を心がけ学校と教育委員会が一体となって、いじめ問題の解決に取り組んでまいります。

私の地域の盆踊りの日、子育て真っ最中の人に聞いてみました。

まず、小学校、中学校、大学生の子どもを持つおかあさんです。
「子供会に入っています。情報は子どもからも親からも入ってきます。今のところ問題はありません。学校にも、よく行きます。学校と親が信頼関係を気付けているかどうかが大事だと思います」とのことでした。

青年団でがんばっているお父さんたちに聞きました。「父親たちでいじめの問題についてはなしをしていることはありません。嫁がやっていると思います。ただ、『いじめられたら言えよ。おとうさんが学校に言いに行ってやるから』と子どもには言ってあります」とのことでした。

孫がいじめられた経験があるというおばあちゃんに聞きました。
「いじめられているということがわかったのは、友達や友達のおかあさんからです。学校の先生にも話して、問題が大きくならずにすみました」とのことでした。

地域の方は子供会に入って自分の子どもをいろんな目で見てもらうことの大事さを語っていました。親が学校に出入りして学校と信頼関係をもつ大事さをかたっていました。「何かあれば、お父さんに言え!」とたくましいメッセージを子どもに発信していました。

ところが、「いじめを担任に話しても子どもは担任よりも親がこわいので、親の言うことを聞いても担任の言うことを聞かない。結局相手の親に言い、なんとかおさまりましたが、親に言えないときには、泣き寝入りしかありません。」と言った方がいました。この方は、「いじめは結構ありますよ」とも言っていました。

Q4、質問します。
いじめが解決せず、泣き寝入りしている場合があるのではないですか?

[答弁要旨]

いじめの発見については、本人からの訴えをはじめとして、教職員による発見や教育相談アンケート、周囲の子どもや保護者からの情報提供等により、学校が積極的にいじめの認知に努めているところであります。

しかしながら、学校が知らないところでいじめがあることも考えられることから、県教育委員会のいじめ相談窓口や警察などの関係機関の情報提供もいかし、色々な側面からいじめの早期発見と解決に取り組んでいきたいと考えております。

8月3日、衆議院では青少年問題特別委員会がひらかれ、いじめ問題について審議が行われています。

議事録を読みました。H21年2月から3月に、内閣府が不登校の意識調査をしています。対象は、H16年度に高校を退学した者及び同年度に中学校3年生で不登校であった者です。その結果で、もっとも多い回答は、友人関係、いじめ、けんかなどが、約50%となっています。文科省も学校を通じて不登校調査を行っていますが、不登校になったもののなかでいじめが原因は2.3%となっているのです。本人に直接聞くと不登校生徒のうち、いじめなどの人間関係が原因であるものが50%にもなるのに、学校からの調査では2.3%になっているというかけ離れたものになっているのです。これに対して「こういう統計をずっと認めて、垂れ流し続けていること自体が、現場のいじめに対する感度を鈍らせていると言わざるを得ない」ことが指摘されています。

尼崎市の不登校児童・生徒におけるいじめはどうなっているでしょうか?

9月4日付けで中学校の不登校数は459人。いじめが原因はたったの2人です。小学校は130人でいじめは0です。

Q5、質問します。
不登校においてのいじめの数は、実態を表していないと考えます。実態を正確につかまねば解決はできません。総務省の調査は本人に郵送で聞いています。
なんらかの方法で、たとえば、不登校児童に年齢の近い学生や社会人が訪問指導をおこなっているハートフルフレンド事業など、本人に直接聞く方法が必要ではないですか?

[答弁要旨]

教育委員会といたしましては、不登校になった子どもに対し、学校や保護者の要請により、訪問指導員やハートフルフレンドを派遣し、補充学習やカウンセリング、屋外活動等を行うとともに、子どもの実態を把握する中で、不登校になった原因についても、子どもや保護者から聞き取り、学校と連携を図りながら、対応しているところでございます。

さらに、適応指導教室の「はつらつ学級」に通う不登校になった子どもに対して、指導員やカウンセラーが子どもの状況の把握と丁寧な対応に努めております。

今後も、学校と教育委員会が一体となり、不登校になった子どもに対応するとともに、いじめの実態把握といじめ問題の解決にも全力で取り組んでまいります。

「教育のつどい」では福井雅英さん(北海道大学教職大学院教授)は、稚内市の「荒れた学校だった南中学校のアンケート(1984年)を紹介。「ひやかしをみたことがありますか」「パシリを見たことがありますか?」など具体的な例で質問し、最後に、「あなたは、これらのことをいじめだとおもいますか?」と聞くのです。一般的に「いじめはあるか?」と聞いて「ない」と答える人は、なにがいじめなのか分からない場合がある」と。そこから話し合いをはじめて翌年、「奇跡の再生」をはたし、現在も引き継がれ、いじめがおこったらすぐ対策をとっているといいます。

Q6、質問します。
いじめている子もいじめられている子もいじめだと認識していないことも考えられます。「いじめはいけない」ことを教える前にひやかしやパシリがいじめにつながるんだということを教える必要があると考えます。いかがですか?

[答弁要旨]

子どもの発達段階や経験によって、何気ない会話や悪ふざけでも、子どもによっては精神的な苦痛と感じることもあり、その行為がいじめにつながることを子どもたちに伝え、自分の言動を振り返らせることは、重要なことであると考えております。

そのため、道徳の時間や学級活動の時間において、話し合いなどを通じて、いじめについての認識を深めるよう指導してまいりたいと考えております。

村山士朗さん(大東文化大学教授)は「いじめでなければいいのだろうか?と切り出しました。「子どもたちは、イライラ感やむかつき、不安感を持っている。それが、他者にむかえば、いじめや校内暴力、自分にむかえば、自傷行為や自殺、モノにあたれば、器物損壊になる。だから、いじめ問題を語る時に、いじめだけの狭い枠で考えるのではなく、子どもの思いを受け止めることが必要」と話しました。そして、「教員に対しては、自分の学校が、文部科学省の調査で“いじめはゼロ”と“いじめはある”のどちらを報告しているか確かめてほしい。評価の対象になるから“いじめはゼロ”とかいていることがある」といいました。そして、夏休み明けには全国に問題提起していきたいと締めくくりました。

Q7、質問します。
「教育のつどい」では「いじめ」を暴力や人権侵害としてとらえることが共感的にうけとられました。いじめを暴力や人権侵害としてとらえる段階に来ていると考えます。いかがですか?

[答弁要旨]

いじめは、命にかかわることもある人権侵害の問題であると認識しております。

教育委員会としましては、教員自らが人権感覚を磨くと
ともに、子どもたちの道徳性や規範意識を伸張させ、あゆる機会を通して、自他を大切にすることや、かけがえのない命を大切にする心の育成の推進について指導してまいりたいと考えております。

二つ目の観点
「教職員が子どもの命と人権を守ることをなによりも大切にする感覚を研ぎ澄ますこと、それはいじめられている子どもに対してだけでなく、いじめている子どもにも同様であること」についてです。

「いじめ」問題が発生すると「知らなかった」という学校や教師の態度は、もはや許されません。子どもたちの人権や命にかかわる問題がおきた場合は、いくら学校や教師が多忙であっても、その子どもたちの人権、生命をまもることがすべてに優先されなければなりません。

 とくに、「いじめ」については、その対応を担任まかせにしないことです。「いじめ」をうけている子どもの苦悩や「訴え」をみのがさない敏感さとともに、初期の段階でのすばやい対応がもとめられています。初期の段階での対応いかんで、かなり解決が期待されます。そのためにも、教育行政は“いじめ総点検”など「対策マニュアル」のおしつけでなく、職員会議で子どもの状態などが真正面から討議できるよう、さらに日常的にも教職員の機敏な連絡や情報交換などをとおして、教職員の創意をふくめた対応をすばやくはかるべきです。

「教育のつどい」のシンポジュームでは、兵庫県の中学校教員は「嫌だ!と思えばいじめ」と言い切りました。クラス担任ではなく学年付きというこの教師は「学校の親は私」「あなたの命は守る」と生徒たちに伝え、忙しい担任に代わって学年すべてに目配りをしているとのことです。

そして、担任には「問題があっても担任のせいじゃないよ。問題があれば、行動する前にすぐに連絡して」というルールをつくり、タイムリーな指導に心がけているとのことでした。大変な学校現場で工夫をしながらなんとかがんばっているのです。

この中学校教員は続けて言いました。

「それにしても1クラス40人は多すぎる。これを機会に30人学級にして命が守れる学校にしてほしい」と。
そして、教師に健康とゆとりがあることが子どもを大事にできる保障だと言いました。

同僚の新任教師は初任者研修のため毎晩12時まで学校に残り、仕事をしている現状について改善の必要性を語りました。

さきほどの衆議院特別委員会の参考人であったPHP総研教育マネジメント研究センター長は、安心して楽しく学べる場をつくるため教員を増やし、いじめ問題に専念する教員を配置するよう求めました。

Q8、質問します。
安心して、楽しく学べる場をつくるために、教員を増やし、いじめ問題に専念する教員を配置することを国に求めるべきと考えます。いかがですか?

[答弁要旨]

いじめ問題に対して、的確に対応するために、担任だけに任せるのではなく、学級や学年の垣根を越えて、さらに家庭や関係機関と連携しながら、学校全体での取り組みを推進していく教員が必要であると考えております。

それらのことに対応するために、生徒指導加配教員の増員を、兵庫県都市教育長協議会を通じて、国に要望しているところです。

Q9、質問します。
「いじめられる」子どもは、いつでも安心して相談できるようにしてほしいという切実な願いをもっています。この子どもたちや父母などの訴えに、学校や教育機関は、真剣にこたえる相談窓口などを開設すべきです。同時に、現在、多くの子どもたちにとって相談しやすい場所となっている保健室の拡充と養護教諭の複数配置などの増員を急ぐべきです。いかがですか?

[答弁要旨]

教育委員会といたしましては、教育総合センター内に「教育相談担当」を設け、臨床心理士5名を含む専門家による、電話相談や面接での相談を受け付けております。

一方、学校におきましては、子どもにとって相談しやすい環境を整えることが大切であり、養護教諭やスクールカウンセラーを含めた学校全体で相談体制の充実に取り組んでいるところでございます。

今後も、保健室をはじめとする身近に相談できる体制づくりを推進し、様々な相談窓口も活用しながら、子どもや保護者が安心して相談できるよう努めてまいります。

三つ目の観点
「子どもの中にこそ解決の力があり、それを引き出すことが大切なこと」についてです。

子ども自身のとりくみをうながすことは、子ども同士で相互の信頼と連帯感が深まることになり、「いじめ」克服にとって大切なことです。あらゆる場で子どもの発言を保障し、クラスや児童・生徒会などで議論を深めていくことがとりわけ重要です。そのさい、論議を中途半端なものにせず、本音をだしきる討論によって、一人ひとりの良さや個性のちがいを尊重し、なによりも人間を大事にするということを深め、「いじめ」を許さない決意を全員のものにしきることです。このようなとりくみのなかで、子どもの自治の力や人権意識が育つでしょう。

 ほんらいどの子どもも正義感や人への思いやりをもっているし、「いじめ」をなくしたいと思っています。

「教育の集い」では子どもの中にこそ解決のちからがあり、それをひきだすことが、たいせつなことも共感的にうけとめられました。

「教育の集い」に参加した神奈川県の私立高校生は、「このような問題は、生徒を信頼していっしょに考えさせてほしい」と話しました。また、この私立高校生は「中学校で傷ついた経験のある生徒が多く、クラスの班長会を毎週開き、来ていない友達がいれば、だれがどのように声をかけるか話し合っている。1人ひとりの生徒が考えれば、いじめは減らせると思う」と言いました。

Q10、質問します。
子どもの中にこそ解決のちからがあるとかんがえます。いかがですか?
尼崎市での、この観点での実践例があれば紹介してください。

[答弁要旨]

学級・学年といった集団から相互に信頼しあえる人間関係を作り、生徒会活動を中心とした学校全体での取組に発展させ、自らの手でよりよい学校生活を生み出す実感を子どもに与え、主体的に地域や社会に参画し、行動する力の育成を推進することが大切であると考えております。

そのため、本市におきましては、今年度から「社会力育成モデル事業」として、生徒会の代表者を集め、いじめ問題等について討議したり、発表したりする宿泊研修を実施しました。

今後も各学校において生徒会を中心とした自治能力の向上をはかり、子どもたちの中でいじめの問題を自分の力で解決する能力も養っていきたいと考えております。

四つ目の観点
「保護者、教職員が敵対関係に陥るのではなくともに力をあわせた学校づくり、地域づくりが求められていること」についてです。

「教育のつどい」の緊急シンポジウムのパネリストの一人、Aさんの長男は、少し前までいじめられていました。からかいの対象にされ、暴力もふるわれていましたが、それを見て、笑っていた生徒もいたとのことです。夫も学校へ行き、先生もクラス運営に苦労していることがわかりました。長男を殴った子も、「自分がターゲットにされるのが怖くていじめる側に回っていた」とわかり、その子には、あやまってもらったといいます。いろいろ調べて、「地域の人が頻繁に出入りしている学校は、あまり荒れていない」とわかったので、「親として、学校と一緒にできることはやっていきたい」と発言しました。

息子がいじめの加害者になったという母親は「クラブでの言葉の行き違いによるトラブルから、仕返しがエスカレートした」が、学年の担任全員にクラブ顧問も加わり、対策を相談してくれた事例を話しました。「言葉の行き違いはいじめにならない」「トラブルの段階で話し合えばよかった」「自分は気づいてもやめろとはいえなかった」などの意見が出され、みんながあやまった。発覚から一週間でおさまった。感心したのは、この事実経過が校長にも伝わり、校長を先頭に、教員が集団で解決にあたったとのことでした。それだけに、最近の報道の多くにある「学校はあてにならない」という基調に違和感を覚えていたといいました。仮に「あてにならない学校」であっても学校が変わらなければ、いじめの解決にはならないと言いました。

子どもたちは、「先生にいっても解決しない」「いえば、チクったと思われる」とほんとうのことを言えなくなっている場合があるといいます。

Q11、質問します。
「いじめ」を告発することは、勇気のいることです。「いじめ」にたちむかう力を発揮させるために、教師、父母、地域が子どもたちのとりくみをささえ、はげましていかなければなりません。尼崎では、この点について、どうされていますか?実例をあげて示して下さい。

[答弁要旨]

教室全体にいじめを許容しない、またいじめに立ち向かうといった雰囲気を形成することは、いじめ問題の解決のために最も必要なことであると考えております。

そのため、道徳や学級活動を中心に各教科においていじめが人権や命にかかわる重要な問題であることや、いじめに立ち向かう勇気や考え方を育むような指導をしております。

加えて、中学校区ごとに児童生徒健全育成協議会を組織し、小・中学校の教員、PTA、地域の保護司、民生委員などが学校内外の情報交換をおこなったり、研修会を実施するなど、それぞれの立場で子どもたちの健全育成に寄与しております。

また、中学校においては「こころの教育推進事業」として、生徒、保護者を対象に講演会を実施し、子どもたちが自他の生命を大切にし、他者を思いやる心を身につけ、法やきまりの意義を理解し、遵守する生徒を育成する取組をおこなっております。

五つ目の観点
「“競争と管理”“自己責任”を基調とした新自由主義的な「教育改革」が子どもたちばかりでなく親や教職員など子どもに関わる人々に多大なストレスを与え続けており、この抜本的な改善なくしては根本的な解決はむつかしい」についてです。

「教育のつどい」では北海道教育大学教職大学院教授の福井雅英さんから大津の事件の概要が話されました。昨年10月11日自宅マンションでの自殺、17日アンケート実施、11月2日アンケート公表(いじめ認めるが自殺との因果関係を認めず、今年2月警察に届ける、7月19日滋賀県警動くという概要に続いて、子どもと教師の状況が報告されました。

仲良しグループの行動は、7月に一緒にテーマパークにいき、9月にプロレスごっこをし、9月29日に手しばり粘着テープ事件となっているようです。これに対して、教師集団は9月30日「いじめとちがうんか?」と疑問をもちはじめたものの、10月5日トイレでの暴行ありとの通報に教師が駆けつけた時には収まっていたため、「けんか」ではないかと考え、15分ほどその場ではなしをして、「けんか」と判断した経過も付け加えられました。結局、「けんか」と判断された1週間後に命をたっているのです。

滋賀の教師が新聞やテレビで報道されなかった学校の現実を発言しました。

「子どもたちは、受験競争で日常的にイライラしていました。手縛り粘着テープ事件があった日は、子どもたちが、あっちでもこっちでも手縛り粘着テープごっこをしていたので自殺した子どものグループだけに目をむけるなどということにはなりませんでした。」と語り、悲痛な思いが伝わった時には、会場は重苦しい雰囲気に包まれました。日常的に手のつけられない状況があり、いじめられているということさえもつかめない状況であったのだとわかりました。

わたしは、「どう解決したらいいんだ この現実!」と叫びたいような気持と「このような現状のなかでは、子どもも教師もまともな感覚がなくなるな。異常なことが日常になってしまうと感覚が麻痺してくるな」という思いを強くしました。

それにしても、なぜここまでの状況が生み出されるのでしょうか?

自殺した生徒が通っていた大津の中学校は、学校選択制により、毎年50人が学区外から入学し、教室が足りなくて詰め込みになっていたと言います。山本由美さん(和光大学教授)は、「小中一貫校や統廃合によって多くの学校が大規模広域化しており、地域の崩壊が加速している」と話し、「国連子どもの権利委員会から再三“過度の競争”の問題が勧告されても、なんら対策がとられず、全国いっせいテストは続けられている」「新学習指導要領の全面実施により、授業時間が増えて、詰め込みも加速し、ますます子どもを追い込んでいる」と指摘しました。

兵庫県の中学教員は今でも子どもたちはへとへとだと言いました。授業が終われば、クラブ活動。そのあと塾通い。複数志願制度が始まり競争が激しくなっている。その上、学区拡大がはじまれば、もっと大変になると言います。

Q12、質問します。
いま、生徒数が減り、進学希望者のほとんどを高校に入学させることは可能です。これを機会に、学区を合理的に縮小するとともに、入学制度の改善、私学助成の増額などで、名実ともに高校の希望者全員入学を実現して過度の競争教育を緩和すべきです。いかがですか?

〔答弁要旨〕

公立高等学校における入試制度や学級数は、県教育委員会が所管しているところでございます。

確かに本市でも、中学卒業生の約97%が高等学校へ進学している状況になっております。

しかしながら、一方で、社会の変化や生徒・保護者のニーズが多様化しており、行きたい学校に入りたいという要望もあります。

したがいまして、今後とも、生徒・保護者のニーズに対応するため、学力の向上に努めるとともに、適切な進路指導に努めてまいります。

中学3年生までの35人以下学級の実現を

「これがいじめにつながるのよと教え、子どもの力を信じて解決の糸口を見つける、学校、家庭、保護者が信頼しながら子どもをはぐくんでいく」このとりくみには時間がかかります。あらゆる社会のひずみが学校現場に現れています。勉強を教え、しつけをし、いじめの解決にも奔走しなければならない。これが、学校現場の現状です。とてもではないが、今のクラスの人数ではできません。

わたしが中学校のとき、宿題をしていかなかった生徒は立たされました。宿題をしていかなかったわたしは当然立っていました。貧しい私の家では、宿題をする時間もないだろうと担任でもない国語の先生が「あなたは宿題をしなかったのではなく、宿題ができなかったんだから、立たなくてよろしい」と言ったときの驚きを昨日のように覚えています。少しだけ正義感の強かったわたしは、「勉強する時間はありました」と言って立ち続けました。その時の誇らしい気持ちを今でも思い出します。学校は、そのように生徒のことを皆の先生が知ってくれていました。それが学校の本来のすがたではないでしょうか?

 教育の集いでは、西宮から来たという教師が「子どものために精一杯やっているんです。これ以上やれと言われても限界です。そのこともわかってほしい」と悲痛な叫びをあげました。

教職員がいくら多忙であっても「いじめ」解決への努力は、最優先されなければならないことは当然です。しかし、いまの教職員が忙しすぎてゆとりのないことが、「いじめ」問題への対応を困難にしているのも事実です。したがって、文部省は、「いじめられている子どもの立場に立った親身の指導をおこなうこと」を強調するなら、なによりも教職員を多忙化から解放しなければなりません。そのために、教職員をふやし、労働条件を改善することを急ぐべきです。アメリカの20人学級を見学して「これではいじめはおきない」とかつての自民党政府の首相でさえ言わざるをえませんでした。世界第三の経済力をもつわが国は、教育条件整備では後進国となっています。せめて、35人以下学級の早期実現を急ぐべきです。

Q13、質問します。
中学3年生までの35人以下学級の実現は急がれると考えます。いかがですか?

[答弁要旨]

新聞報道によりますと、文部科学省は公立小中学校の全学年の「35人学級」を平成29年度までに実現したい考えで、概算要求いたしました。

教育委員会といたしましても、出来るだけ早い少人数学級の実現は、きめ細かな教育の実施の観点からも望ましいものと考えております。

 

文教委員会の陳情にもあるように、35人以下学級について昨年公立義務教育諸学校の学級編成及び、教職員定数の標準に関する法律が改正され、小学校1年生の基礎定数化ははかられたものの、小学校2年生については、国の義務標準数の改正が行われていません。そのため、本来、もともと目的があって国が配置している特別な目的の加配の教師で対応しているのです。その結果、加配の教師が少なくなっているのです。兵庫県では、現在1年生から4年生までの少人数学級を実施していますが、実際には加配の教師で対応しています。国は、2年生までの35人学級を実施せよと自治体に押し付けながら、教師の数を増やしていません。そのため、自治体も学校現場も困っています。

Q14、質問します。
「少人数学級」実現にあたっては、現在配置されている少人数指導等に対する加配教員を減らすことなく、35人以下学級を実現すべきと国に求めるべきです。いかがですか?

[答弁要旨]

現在小学校2年生までの35人学級を実施しておりますが、実施に際しては、少人数指導等の加配教員も転用されております。

教育委員会といたしましては、35人学級の実施は望ましいと考えておりますが、一方で、少人数指導等も児童生徒の学力向上に有効であると考えていることから、指導方法工夫改善加配教員の転用のない純増での35人学級の実施が望ましいと考えており、全国都市教育長協議会を通して、国に対し要望しているところでございます。

これで、第2問目の質問を終わります。

<3回目登壇>

旧教育基本法では、めざすべき教育の目的について次のように明記していました。

 「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」(前文)
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(第一条「教育の目的」)

今でも、私は、教育のめざすべきものは、こうであるべきだと思っています。

 学校教育は、成長期にある子どもたちに、知識と体力、情操を、子どもの発達に即して身につけさせ、子どもたちが次の時代を自らの力で創造できる人間として育っていくことを助けることに専念するものでなければなりません。これが、憲法の求める教育の中心点です。教育は、競争ではありません。

国連子どもの権利委員会の勧告を無視し、学校現場における過度の競争教育をあらためもせず、競争と管理の教育をますます強めようとしていることに教育のゆがみの最大の原因があります。

学区の拡大は、競争をもっと激化させます。高校の学区拡大は中止すべきです。

大阪府と大阪市では橋下・「維新の会」と公明党などが強行した首長の教育への権限を強化した首長の教育への権限を強化する教育関連2条例で、教育の政治介入、統制と競争が強められようとしています。

その一つが「教育行政基本条例」です。同条例では首長が教育委員会と協議して「教育振興基本計画」案を作成するとしています。

大阪府は8月末、同計画の「中間まとめ」を発表しました。そこでは、地方教育行政法で首長の権限外とされている「教育目標」が設定され、「自立して力強く生きる人づくり」「自律して社会を支える人づくり」など、橋下・「維新」の価値観での「人材」育成が目標に掲げられています。

「公私の切磋琢磨」による「高校の教育力の向上」を強調。一部の超エリートを育成する一方、「3年連続定員割れ」の高校を含めた府立高校の統廃合を計画的にすすめるとしています。高校の“生き残り”をかけた激烈な競争が学校と生徒にのしかかります。

大阪府内の中学校教師は「政治介入によって教育が恣意的に動員されることがあってはならないという思いで始動した戦後教育の基本理念に対する正面からの挑戦。学校現場を破壊する危険性を秘めている」と警報を鳴らします。

私もそう思います。学校が激烈な競争で学校現場が破壊されては、いじめの根絶はできません。この大阪の動きを全国に広めるわけには参りません。

「いじめ」問題は、社会の病理の一つです。

「いじめ」問題の克服には、基本的には、社会と政治の病理現象をなおしていくことが求められているのです。そのために、父母、教師、地域の人びとがそれぞれの力を発揮するときであると考えます。人間として子どもが大切にされ、学校が学校らしい役割をはたせるよう父母、教師、地域の人びとが子どもとともに力をあわせることは、日本の民主主義の発展に大きな意義をもっています。

住民本位の、人間尊重の立場から、政治や社会の全般にわたる病理を正すためのとりくみが大切です。みんなで声をあげることが大事です。ともに「いじめ克服」のとりくみに力を合わせようではありませんかと呼びかけて、私のすべての質問を終わります。