9月議会 辻おさむ議員の集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を求める意見書案に対する賛成討論です

 日本共産党議員団の辻修です。ただいま議題となっております「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の撤回等を求める意見書案」に賛成討論を行います。 

ようやく意見書の提出

 9月議会には、閣議決定の撤回を求める陳情が4件提出されましたが、議長限りの処理となり、請願1件は受理されましたが、総務消防委員会での実質審議はありませんでした。市民の強い関心ごとだけに、残念です。

閣議決定の強行

 さて、7月1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定が強行されました。しかし、反対の世論は、閣議決以後も広がり、どんな世論調査でも5割から6割が、反対の声を上げています。安倍総理は、事あるごとに「丁寧に説明を行い、国民の理解を得る努力を続ける」と言っていますが、実際の行動は、どうでしょうか。8月の広島・長崎の平和式典に際して、被爆者代表から、閣議決定に対する強い批判が突きつけられ、長崎の被爆者代表は、集団的自衛権行使容認について、「私たちは納得していません」と、総理に訴えました。ところが、安倍総理は、「見解の相違」と切り捨てたのです。「丁寧な説明」「国民の理解を得る努力」どころか、「議論に耳を貸さない」、強権姿勢だけです。異論を「見解の相違」と切り捨てるなら、民主政治は、成り立たちません。

戦争か、平和かの分かれ道

 いま日本は、まさに「戦争か、平和か」の大きな分かれ道に差し掛かっています。

戦争体験談

 この夏、何人かの市民から戦争体験をお聞きしました。その方々は 80歳前後ですが、戦時中には学生であったり、幼い子供だったときの体験でした。「アメリカの飛行機に追いかけられて機銃照射で狙われた。たまたま体が小さかったので、弾が当たらず、命びろいした」「食べるものもなく、野にある草花をとって食べた」。中には、朝鮮半島から引きあげるときに、「自分は幼かったけれども、頑張って歩き通せたから、今の命があるし、残留孤児にならずに済んだ」等々でした。もう、70年近く昔であるにもかかわらず、どなたも非常に詳細に覚えておられ、まるで、昨日のことのように話されていました。それだけ、幼い子どもたちであっても、命の危険を感じた強烈な体験でした。最後には一様に「二度と戦争をしてはならない」と言う言葉で結ばれました。

「美しい国」「戦後レジュームの見直し」

 第1次安倍内閣は、 「戦後レジュームの見直し」だと言って、「戦争できる国作り」を進めようとしましたが、 1年で頓挫いたしました。

自民党改憲案

 その後、 2012年 4月に自民党改憲草案がまとめられました。その内容は、憲法前文が全面的に書き換えられ、侵略戦争への反省、不戦・平和の誓いが廃棄され、「国防軍」を創設し、国民主権を曖昧にする一方、天皇を国家元首にするなど、その内容は「大日本帝国憲法」を訪仏とさせるものです。

安倍第2次内閣の登場

 こうしたもとで2012年12月に第二次安倍内閣が発足しました。しかしこれは、自民党が支持されたというより民主党の惨敗によって政権の座に帰り咲いたものでした。

憲法96条、国民投票

 当初、憲法9条の改訂は、国民の反対の声が大きく、憲法96条、すなわち憲法改正手続きのハードルを引き下げることによって改憲への足がかりを作ろうとしました。しかしこれも国民の反対で断念をせざるをえなくなりました。

解釈改憲

 そこで持ち出されてきたのが、憲法の解釈を閣議決定で変えようと言う企てです。歴代のどの自民党内閣も、「憲法9条があるので自衛隊は戦闘地域には行けない」という立場を堅持していました。以前に私が紹介しましたように、「山形県首長9条の会」の呼びかけ文でも、「戦後の長い平和は、9条の存在と、政府の9条解釈によって守られてきた」と指摘しています。それを安倍内閣は、内閣法制局長官の首をすげかえ、無理矢理政府の公式見解を180度転換し、憲法改訂に等しい方針転換を、国会にも図らず、国民にも信を問わない、「閣議決定による解釈改憲」という改憲クーデター的暴挙に踏み切ったのであります。

安倍改造内閣―19人中、15人のタカ派、ネオナチ、

 今年9月に内閣改造が行われましたが19人の閣僚中15人が、侵略戦争を 「正義の戦争」とする改憲右翼団体「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)に加盟しており、高市総務大臣・稲田自民党政調会長がネオナチ代表とツーショット写真をとっていたことが、海外の主要メディアも相次いで批判的に報じています。

「ナチスを見習ったらどうか」

 ここで思い出されるのが、麻生副総理による「ナチスの手口を見習ったらどうかね」という発言です。ヒトラー率いるナチスドイツは、政権の座につくと、ワイマール憲法を停止して、ファシズムをおしすすめていったのです。その轍を踏んではなりません。

集団的自衛権とはなにか

 そもそも、集団的自衛権の行使とはなにか。それは、日本に対する武力攻撃がなくても、「他国のために武力の行使をする」「海外での武力行使をやる」ということです。その現実的な危険は、2001年のアフガニスタン報復戦争、 2003年のイラク侵略戦争のような戦争を、アメリカがひき起こした際に、従来の海外派兵法にあった「武力行使をしてはならない」「戦闘地域に行ってはならない」という「2つの歯止め」を外し、自衛隊が、従来の「戦闘地域」と言われた地域にまで行って、活動を行うことになることです。そうなれば、自衛隊が攻撃対象とされ、安倍総理は「攻撃された場合には、武器の使用をする」と認めています。まさに、自衛隊が戦闘に参加することに、外なりません。

日本を守るというが

 安倍政権がやろうとしていることは、日本の国を守る事でも、国民の命を守る事でもありません。アフガン、イラク戦争のような戦争で、自衛隊が米軍と肩を並べて戦争を行う「海外で戦争する国づくり」こそ、その正体だといわなければなりません。

「閣議決定は、集団的自衛権を認めたものではない」という議論について

 与党の一部に、「集団的自衛権の行使は認めていない」「厳格な歯止めをかけた」といった議論があります。しかし安倍総理自身が、海外では「安全保障の法的基盤を一新した」と解釈改憲を誇り、7月1日の記者会見でも集団的自衛権行使を具体化するための法整備にむけ「作成チームの立ち上げ」「ただちに作業を開始したい」と表明しており、まぎれもなく集団的自衛権の行使容認です。また「歯止め」として言われているのは、「国民の生命、権利が根底から覆される『明白な危険』がある場合」とされていますが、それを判断するのは、時の権力であり、判断した情報は「特定秘密です」と言えば、明らかにされません。国民にも国会にも真相が明らかにされないまま、時の政府の一存で海外への武力行使が制限なく広がっていくことになり、「歯止め」と言えるものではありません。

毎日新聞「周辺事態」削除――法制化を許さない

 しかも、毎日新聞10月1日付の報道によれば、政府はアメリカと見直しを進めている「日米防衛協力の指針(ガイドライン) 」について、役割分担の1つである「周辺事態」を削除し、「自衛隊が地理的制約を受けずに米軍の後方支援を可能にする改訂を行う方針を決めた」と報じています。これにより米軍支援が世界中で可能になってしまいます。集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回し、その具体化のための立法作業を中止するべきです。

集団的自衛権行使で失うもの(92周年)

 集団的自衛権によって、日本が「殺し、殺される国」になると、失われるものが三つあります。第一に、自衛隊員など、若者の命と人生です。第二に、日本が憲法9条とともに築いてきた国際的信頼です。第三に、日本社会から人権と民主主義が失われます。「海外で戦争する国」づくりは、戦争に国民を動員する体制づくりと一体のものです。秘密保護法は、その重大な一歩でした。改悪教育基本法にそって、子どもたちに「愛国心」を押しつける動きも重大です。「自衛隊に犠牲者が出れば、自衛隊員が激減し、徴兵制になりかねない」という多くの識者の懸念は、決して杞憂(きゆう)とはいえません。

アジア政党会議での決議

9月18日から20日に、スリランカのコロンボで「アジア政党国際会議(ICAPP)」が開かれました。アジアの29カ国の与党・野党含めた75政党と、国連など11組織が集まった会議です。日本からは、民主党と日本共産党が参加しました。この国際会議で全会一致で採択された「コロンボ宣言」は、ASEAN(東南アジア諸国連合)のような地域の平和協力の枠組みを北東アジアなど全アジア規模に広げることを提起するとともに、核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始を世界に向かって呼びかける、画期的な内容となりました。私たちの住む、北東アジアには、さまざまな紛争問題がありますが、それにたいして軍事で構えたら、軍事対軍事の悪循環に陥ってしまいます。今、日本にとって、何よりも大切なのは、憲法9条に立った、平和の外交戦略を確立することです。

NHKあさドラ「花子とアン」

 先週、NHKのあさドラ「花子とアン」が終了しました。最後の週。村岡花子の腹心の友であり、戦争で子どもを失った「白蓮」こと、宮本蓮子が、ラジオで呼びかけました――「先の戦争で、私は最愛の息子を失いました。子を失うことは、心臓をえぐられるより辛い事を、私は身をもって知りました。かわいい子を殺しに出す母親が、1人だっているでしょうか。もう二度と、このような不幸な思いをする母親を、出してはなりません。もう二度と、最愛の子を失わせてはならないのです。戦争は、人類を最大の不幸に導く、唯一の現実です。同じ悲しみを抱く母は、全国に大勢おります。私たちは、その悲しみを持って、平和な国を作らなければならないのです。私は、命の続く限り、平和を訴え続けてまいります――――」ドラマとはいえ、魂の叫びです。母親ばかりでなく、父親も同じ思いでしょう。

市民憲章

 尼崎には「市民憲章」があります。一節を紹介しますと、「1つ.わたくしたち尼崎市民は、きまりを守り、秩序をたもち、平和な社会をつくりましょう」――――まさに平和な社会を、未来の尼崎市民に送り届ける責任は、私たちにあります。「戦争する国づくり」をゆるさず、集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を求める意見書の採択を強くもとめて、私の賛成討論といたします。ご清聴、ありがとうございました。