辻おさむ市政レポートNo.185 本会議質問 なぜ愛国心の強要を持ち込むのか

辻おさむ市政レポートNo.185(2012.6.27.)

日本共産党尼崎市会議員 辻 おさむ

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委員会で否決された公明党修正案
本会議で異例の提案で可決

公明党修正案にたいする本会議質疑

2012 年6 月26 日
辻おさむ

▼なぜ愛国心の強要を持ち込むのか

日本共産党議員団の辻おさむです。
ただいま上程されました「尼崎市国旗の掲揚に関する条例案」の公明党修正案について、質疑をおこないます。

今日は、傍聴者の方も沢山おられますけれども、質疑では、賛否を言わないことになっておりますので、その範囲での提案者の考えを質してまいりたいと思います。

「尼崎市国旗の掲揚に関する条例案」は、2月議会に新政会から提案され、この場で、私が質疑をおこないました。その後、総務消防常任委員会で、2月27日、4月24日、6月15日と3回にわたって審議され、その中で、各会派から、様々な質疑や問題点の指摘がされました。

▼これまでの論点

その主なものは、
① 日の丸に関して、市民の間に様々な感情があり、とりわけかつての日本軍が日の丸を推したてて中国、朝鮮、台湾、東アジア各国を侵略していった歴史について、どのように認識しているか。
② 侵略戦争に対して日本政府の見解である1995年の「村山談話」に対する評価
③ 国旗国歌法は、国旗に関して「デザイン」を決めただけであり、当時の政府答弁でも「強制するものではない」と繰り返し答弁していることに対する認識
④ 学習指導要領を越えた強制規定の是非
⑤ 愛国心の「形」、愛国心を強制することの是非
⑥ 国民の幸福追求権は、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という憲法13条、「思想・信条の自由は、これを侵してはならない」とする憲法19条との関係―などなど、沢山ありました。

▼否決された修正案の復活について

2月27日と4月24日の総務消防常任委員会では、公明党のお二人は、「継続審査にしよう」といった以外、一言の発言もありませんでした。

それが、6月15日の総務消防委員会に、公明党の二人の委員名で「修正案」を提出されました。

総務消防委員会では、新たな国旗掲揚強制に反対する陳情がだされ、各口頭陳述者も、口々に「修正案にも反対」の意思表示をされました。

多くの市民が見守る中、総務消防委員会では、公明党の修正案は賛成少数で否決され、新政会の原案も賛成は新政会の1人だけで否決されました。

市民が喜んだのも「束の間」、本日、総務消防委員会で提案されたものと、全く同じ修正案が、本会議に提案されました。まるで恐ろしい悪魔が蘇ったような驚きと怒りで、今日も大勢の市民が傍聴に駆けつけています。

今日の提案で違うのは、提案者が委員会の2人から、副議長を除く公明党8人の提案になったことです。これは、委員会での個人的な修正案から、ほぼ全員の名前で本会議に出されたということは、会派としての考え方だと受けとめるべきでしょう。

そこでお聞きします。 委員会で否決された修正案を、本会議で再び提案させ、復活させるという、そこまでして日の丸掲揚を強制させようとする、あるいはこれまでにない対応をされる意図はなんでしょうか?

▼危惧される内容が払拭できたのか

さて、修正案の内容は
① 国旗国歌法、教育基本法、学習指導要領を削除すると同時に、「子ども」の表現を削除し「市民」に含める。
② 国旗掲揚義務づけの対象施設から教育委員会所管施設をはずし、本庁舎、支所、消防署・分署に限定する。
③ 掲揚する時間を、「利用に供する時間」から、「市職員の執務時間」にする。「利用者」という表現を削る。
④「式典及び行事」を「式典等」にする。式典等の内容は不明なことになってしまいます。
⑤ 学習指導要領による入学式、卒業式は「掲げるものとする」式典であることを明記する。
⑥ 議場については、新政会の原案通り。
⑦ 実施日を「公布の日」にする―――などです。

問題は、「これで危惧される内容が払拭できたのか」という点です。

▼侵略戦争への認識について

範囲を狭めたとはいえ、これまで尼崎になかった国旗の掲揚義務付けを公明党として提案しているのですから、国旗についての認識が問われるのは、新政会と同じ立場に立つものと考えます。新政会に対しておこなった質疑をそのまま、公明党にも聞かなければなりません。

そこでお聞きします。
国旗問題は、もともと、国民の意見も大きく2分している上に、繊細で微妙な事柄です。提案者はそのことをどう認識しているのでしょうか。

かつて、日の丸をかかげて、日本がアジア各地に侵略していった事実をどう認識しているのでしょうか。

また、侵略をうけた国の方々が多く尼崎に住み、働き、納税しています。条例化をすることは、こうした人たちとの友好を阻害することにもなります。これは、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与することに逆行するのではありませんか。

新政会の場合、この場でお答えいただいたのと、委員会で各提案者にお聞きしたのとでは、認識がそれぞれ違いました。会派としての意見なのか、個人としての意見なのか明確にしてお答えください。

▼「村山談話」について

さて、先の戦争にたいする政府の公式見解は、1995年8月15日の「戦後50周年の終戦記念日にあたっての記念式典」に際して、当時の村山富市総理が、閣議決定に基づき発表した声明、いわゆる「村山談話」です。

この談話は、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを「疑うべくもないこの歴史の事実」とし、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」したことが特徴です。

その後も、森内閣、小泉内閣、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と、公明党が与党だった歴代内閣でも、繰り返し「村山談話」を堅持する立場を表明しています。

とりわけ、タカ派として知られ首相就任前に、村山談話に対し批判的な発言をしていた安倍晋三内閣でも、2006年(平成18年)10月5日、安倍首相が、衆議院予算委員会で、村山談話について「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」であることは「国として示した通りであると、私は考えている」と再確認し、「私の内閣で変更するものではない」と明言しました。

そこでお聞きします。公明党が与党だった歴代内閣が『村山談話』の再確認という形で、侵略の事実を認めていますが、提案者の公明党もその立場なのでしょうか。

▼修正案の内容について

次に、修正案の中身について、伺います。

「愛国心」強制規定

第1条のうち、国旗国歌法、教育基本法、学習指導要領など根拠法を削除しています。

もともと、国旗国歌法は、国旗のデザインを決めているだけですから、削除されても問題はありません。

同時に、「子ども」の表現が削除されていますが、委員会の説明では、「子ども」も「市民」に含めるとのことですから、内容の変更はありません。

問題は、「わが国と郷土を愛する意識の高揚に資する」という文言を残していることです。

「わが国と郷土を愛する意識」とは、すなわち「愛国心」です。つまり、「本市の施設」「式典等」で、国旗を掲げることによって「愛国心」の「高揚に資する」ことを目的にすることになります。

法律で、「愛する心」を規定したり、「愛する形」すなわち「国旗の掲揚」という形を押し付けることは、憲法13条、および19条に違反する行為となりうる可能性があります。

条例化は、「国や郷土を愛する意識」をすなわち「愛国心」を一定のものと決めつけることにつながります。

日の丸を見ることによって、自国の国旗、他国の国旗を尊重する態度が培われると思っている人々の思いを条例によって押し付ければ、市民が自由に物事を受け止める内心的自由を侵すことになってしまうのではないでしょうか。

そこでお聞きします。なぜ、修正にあたって、「わが国と郷土を愛する意識の高揚に資する」という文言を残したのでしょうか?

対象施設について

次に、第2条の対象施設の問題です。

修正案では、対象施設から教育委員会所管施設をはずし、本庁舎、支所、消防署・分署に限定しています。

お聞きします。教育委員会所管施設をはずしたのは、なぜでしょうか?

また、本庁舎、支所、消防署・分署に限定したのは、なぜでしょうか?

それ以外の施設、つまり、国旗を掲げる施設と、掲げない施設に分けたのはなぜでしょうか?

入学式・卒業式 での強制

次に、第4条 式典関係です。

修正案は、「式典及び行事」を「式典等」に変更するものです。式典等の内容は不明確です。委員会では、色んな行事があり、議会側ではわからないので、「当局に決めてほしい」という考えのようでした。

ついで、「学習指導要領により国旗掲揚が必要とされている式典等に限る」という文言がつけられました。入学式、卒業式は「掲げるものとする」式典であることが事実上、明記されたわけです。

委員会の質疑では、第4条で学習指導要領の括弧書きを削除すると、学校の式典等のうち学習指導要領対象の式典以外のものも、すべて掲揚対象となってしまうので、「技術的なもの」だという説明でした。そうでしょうか。

委員会では、法制課が、「掲げるものとする」ということなので、「強制ということになってしまうんかもわかりません」。さらに、「強制ということであっても学習指導要領の趣旨に反するというものではないと思う」と答弁しています。ようするに、「強制になる」ということを認めているわけです。ここが問題なんです。

委員会での提案者は、「敬礼」が伴わなければ、「強制にならない」との持論を述べておられましたが、法制課は明確に「強制になる」との見解です。

現在も、入学式、卒業式で日の丸が掲げられているのは知っています。今は「学習指導要領」に基づく掲揚です。ところが、条例化されると、それは同じ行為でも、条例にもとづく「強制」になるんです。

そこでお聞きします。掲揚の対象に教育指導要領にもとづく入学式、卒業式をわざわざ規定することは、提案者の意図に反して「強制することになる」のではありませんか?答弁をお願いします。

「敬礼チェック」

次に、「敬礼チェック」
について伺います。
新政会の提案者は、今回を皮切りに、今後も改善を求めていくとしています。すでに入学式で、規律と斉唱のチェックを求める質問も行われています。

そこでお聞きします。「敬礼チェック」について、どのように考えておられるのでしょうか。?
また、将来、行わないための保証をどのように担保するのでしょうか?

■仙波提案者の答弁

●本会議提出
委員会で否決された修正案をなぜ出すかということですけれど、私たち、委員会で可決を求めて修正案を提出いたしました。残念ながら賛同者が少なく、否決されましたけれども、本会議で再度提出できるという機会があれば、可決をめざして提出をすると、そういう理由で提出をいたしました。

●国旗への認識

つぎに、国旗問題についての認識ですけれども、国旗問題については、戦前、戦中を通して軍国主義という事実、また戦争という事実を連想して非常に一部につよい反対論、また拒否感があるということは十分に認識しております。

●友好への逆行

つぎに、侵略を受けた国の方々が尼崎に住んでいるんですけれども、条例化することは、逆行するのではないかということですけれども、日の丸を、また自国の国旗を尊重するということにつきましては、そうすることによって、他国の国旗あるいは、国民をも尊重することはできる、またそういうことになり、国際社会の平和と発展に寄与することに逆行するとは、私は、思いません。

●愛国心の未修正

つぎに、修正に「わが国と郷土を愛する意識の高揚に資する」という文言をなぜ残したのかということですけど、日の丸を目にし、日常的に接するということは、日本人としてのセルフアイデンティティ、あるいは、日本人としてのプライドを持つことになり、自国を愛する意識も高揚するんではないかというふうに考えております。

●対象施設

つぎに、教育委員会所管の施設をはずしたのはなぜかと、また国旗を掲げる施設と掲げない施設を分けたのはなぜかということですけれど、国旗を掲げる施設と、掲げない施設を分けたというよりは、教育施設については大変根強い反対があるということを認識した上で、教育関係の施設を削除して、市が直接管理し、正職員がいる官公庁舎に限定したものです。

●入学式、卒業式

つぎに、掲揚の対象に入学式、卒業式を規定することは強制することになるのではないかということですけれども、これは委員会で答弁しましたように、修正案をつくるときの技術的なものであること、また「強制」とは、日の丸に「敬礼」をさせることであると思いますので、私は掲揚については強制とは考えておりません。

●敬礼チェック

つぎに、「敬礼チェック」ですけれども、「敬礼チェック」については。不要と考えております。ただし、職場においては、指導要領にもとづく職務命令には従うべきだと考えております。

将来行わない保証の担保ということですけれども、私が言える立場ではないと思いますんで、現場の運用になると思います。

●村山談話

それから、侵略した事実、あるいは「村山談話」で侵略の事実云々ということですけれども、戦争という暗く悲しい出来事というのは、私は歴史観、あるいは時代認識として捉えるべきであると考えております。国旗が戦争を引き起こしたわけでもなく、あるいは、軍国主義に傾斜させたわけでもありません。国旗と戦争は。全く別次元の問題でありまして、そういう風に整理、議論すべきと考えております。

ゆえに、今回提出した修正案とは、別の問題であると思いますので、答弁は控えます。

■第2回登壇

辻おさむ

1回目のお答えをいただきました。

日の丸と戦争の問題については、別次元の問題だということなんですけれども、その一方で、先ほどの答弁で、「軍国主義、戦争の事実と連動して拒否感をもっていらっしゃる市民が沢山いらっしゃるということは、認識している」とのご答弁だったんですよね。つながりがあるんですよ。

たしかに、日の丸が戦争を起こしたわけではない、軍国主義をすすめたわけではありませんけれども、日の丸がそのためのお先棒をかつがされた。2月のときにも、戦場にいくときに真っ先に日の丸を掲げた人が行ってそこに日の丸を立てる行為があったことが、当時の教科書に書かれていることを紹介しましたけれども、まさに一体のものであると思います。

それから、教育施設について、「根強い反対意見があるので、はずしました」「官公庁に限定した」ということなんですけどね、修正案に対しても、市民の方が口頭陳述の中で言われたんですよ、官公庁に対しても根強い反対があると私は思ってるんですね。
だから、ここだけ残すという意味がよくわかりません。

それから、「技術的」理由で学習指導要領にもとづく式典を残したということなんですけれど、確かにそういうことを総務委員会でも言われてました。

そのうえにたって法制課は「強制になります」と、いうご答弁だったんですよね。

ですから「技術的」理由だといわれるんですけれども、「技術的」理由だとしても、ここに書き込んだことが「強制」になってしまっているということは、技術的にまだ未熟な技術が、まだここに残っていると考えざるを得ないと、思います。

それから「村山談話」の問題なんですけれども、これは1問目でも言いましたように、歴代内閣がずっと再確認している問題なんですよね。全く別の問題だからとお答えになりませんでしたけれど、すでに政府の方針として確定し、公明党さんが与党の内閣で何回も再確認されておりますのに、なぜここで、それが表明できないのか、よくわかりませんので、再答弁をお願いいたします。

▼「村山談話」否定に手を貸すことに

かつて日本がアジア各地へ侵略戦争をしていったことに対する認識について、私は、2月議会で原案の提案者である新政会の提案者にお聞きしました。

これにたいする本会議での答弁は「先の大戦が侵略であったか、自衛であったか、両面持ち合わせたものか、議論があるところだと認識しております」とのことでした。

のちに総務消防委員会で、会派議員が問いただしたところ、「さきの大戦が」といったのは、「太平洋戦争まで、すべて含んだ」ものと言い訳されて、その後、「満州国建国、盧溝橋から端を発した日中戦争から、そういった部分については侵略という部分が確かに該当するんだと私は思います。」と、侵略戦争であることを認められました。2月の委員会で、他の新政会の提案者の認識は、どうだったでしょうか。
バラバラです。

ある委員は、「肯定も、否定もしません」。こういうお答えでした。

また、ある委員は「両論あると思う」と答えられたうえで、「それがどちらかというのは、今の私たち戦後生まれにそれを判断しろといっても、書物を読んで、いろんな論理はある」と答えられ、結局は「主観の違い」だと、歴史の真実にあいまいな態度でした。

そして、別のある委員は、個人的な考えだとしながらも、明確に「侵略戦争ではなく、自衛の戦争だったということで、私は「村山談話」は違ってると思ってます。」と答えられました。

歴代内閣の正式の見解をも否定する考えの方が、国旗掲揚条例を提案されているんです。

2008年、麻生内閣のときに、政府見解と異なる認識を示した論文を発表したとして航空幕僚長が更迭されました。本人も国会のなかで「村山談話と異なる見解を表明したということで更迭をされた」との認識を示しています。公明党が与党だった麻生内閣の出来事です。

「村山談話」と異なる見解を、官僚や、公務員が言ったら大変な問題になる、そういう性格のものです。

さきの戦争では日の丸を先頭に掲げられ、日の丸の旗で戦地へ送り出された歴史があります。

「侵略戦争であった」ということと「そうではなかった」ということでは、全く意味が違ってきます。

そこでお聞きします。

原案提案者が「侵略戦争ではなく、自衛の戦争だった」「村山談話は違ってる」という発言をしていることについて、修正案提案者は、どのように考えておられるのでしょうか。

また、「村山談話」を否定する考えで提案された原案が、委員会で否決された上で、今回、さらに本会議で修正案を提案されたことで、規模が縮小されたとはいえ「国旗の強制条例」が復活することになりますが、「村山談話は違っている」という考えに手を貸すことになりませんか?

■ 仙波提案者答弁

質疑のお答えいたしますけれども、辻議員と私の認識は大変違っておりまして、平行線になるんではないかと思うんですけれども、第1問でもお答えいたしましたように、あくまでも戦争というものは悲惨なものであり、二度と戦争を起こしてはならないと思います。

そして、どれほど、この戦争によって不幸な方々が誕生したか、生まれたか、そのことは日本人であれば誰しも思っている共通のことと思います。

それと、なぜ日の丸が結びつくのかということは、私は、とても理解できません。

日の丸はいま、オリンピックでも背負ってたたかい、そして優勝すれば表彰されてそれを見て涙する人もおります。

ですからあくまでも当時の軍国主義者によって、日の丸というのは利用されたというべきでありまして、それを戦争イコール戦争、戦争イコール悪、そういった考え方について、私は、理解できません。

ですから、先ほどの答弁と同じように、この原案者が「侵略でなく自衛の戦争であった」といわれていることと、「村山談話」については、まったく私たちが出した修正案とは関係がない事柄でありますので、答弁は控えさせていただきます。

第3回登壇

辻おさむ

戦争が不幸な事態を招いている、このことはどなたも違いはないと思います。

問題はその戦争に駆り立てられた、そのときに日の丸が利用され、結びついて記憶に残っている。その事実をどう認識するかということなんですよ。

朝の連ドラの「梅ちゃん先生」や「カーネーション」でも、戦争中に日の丸で送り出された歴史が描かれています。

そのことをしっかり認識する必要がありますし、「村山談話」を、なぜ「そのとおりだ」という答弁を避けなければならないのか。関係あるかないかは別にしても、なぜ避けなければならないかはよくわかりません。

「修正案」は修正部分ということもあるんですけれども、日の丸条例は、いま、ないんですよ。

いまある「日の丸条例」を修正するならわかりますけれど、ないものをゼロからつくるわけですから、本来の原案含めての考え方を、答弁いただきたかったと思います。

▼ 問題は「愛国心」の強制

さて、いろいろ聞いてまいりました。
要するに修正案は、掲揚する施設を、現在でもほとんど掲げられている本庁舎と支所、消防署・分署に限定し、現在おこなわれている学習指導要領にもとづく入学式、卒業式での掲揚を義務づけ、他の式典については当局に任せようということのようです。

あまり大きな変化はないので良いだろうという考えのようでありますけれど、そうでしょうか。

大きな変化がないのであれば、何のために条例を制定するのでしょうか。あまり意味がありません。

問題はそこにあるのではなくて、「わが国と郷土を愛する意識の高揚に資する」=つまり愛国心への強制を持ち込むことにあります。

日の丸に対する個々人の感じ方、考え方は自由であり、それを保障することが民主主義社会をかたちづくる原理ではないでしょうか。

この点から今回の条例案は憲法違反問題を含んでいると言わざるを得ません。

「国や郷土を愛する心に「日の丸」が資する」これも一つの考え方ですが、それを押し付けてはなりません。

▼ ファシズムへの警鐘

いま、大阪の橋下市長の人気にあやかろうという動きが活発です。一方で橋下市長の手法から、ファシズムを警戒する意見も増えています。

ファシズムの文化を研究されている京都精華大学の教授の言葉を紹介します。
「ナチズムは、600万人のユダヤ人、50万人以上のロマの人たち、多くの同性愛者、障がい者、アルコール中毒者などを殺しました。しかし真っ先に弾圧したのは「エホバの証人」信者でした。
彼らの戒律のうち、国家儀礼の拒否、つまり国旗への敬意の表明や国歌を歌うことを拒否することを一番の脅威だと感じたからでした。つまり、国家儀礼を拒否する国民の排除が必要だったのです。」というものです。

◇   ◇

愛国心は誰にでもあると思います。しかし、その形は千差万別です。ひとつの形に強制する必要はありませんし、国旗や国家儀礼への強制が不幸な歴史を作り出してきた事実があるだけに、慎重かつ厳格にとりあつかわれるべきです。

質疑ですので、賛否の表明は行いませんが――最初は小さく、「これぐらいなら、いいかぁ」と思っていたら、「いつの間にか、ものが言えなくなっていた」――これが歴史の教訓であることを申し添えて、質疑を終わります。

ご清聴ありがとうございました。