田村征雄議員は病気療養中でしたが、1月12日、逝去されました。
葬儀では議員団を代表して松村ヤス子議員が弔辞を述べました。
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弔 辞 2016年1月14日
謹んで田村征雄さんのご霊前に申し上げます。
田村征雄さん、また、ご一緒に活動できると心から願っていたのですよ。それなのに、あなたは逝ってしまわれました。
残念でたまりません。
田村さん、あなたは、私たちが思いもかけなかった、いろいろな話をしてくださいましたね。
コマ回しが得意で、児童ホームの子どもたちの前で回したことを、うれしそうに、そして得意げに聞かせてくれましたね。
そんなあなたが4人目の尼崎学童保育連絡協議会の会長として活躍されたと聞いています。
数年前、御親戚の方々とマイクロバスで尼崎や近畿各地を旅行し、楽しかった思い出を語っておられた姿が忘れられません。
1993年の出直し市議選で初当選され、議会改革検討委員や、議会のあり方検討委員として、23年間、議会改革の中心的役割を果たされましたね。
市議会議長としても、また、住民要求実現の先頭にも立ち、多くの方々が信頼を寄せました。
初当選して7か月後に、阪神淡路大震災がおこったとき、毎日、避難所をまわり、要望を聞き、「せめて暖かいお弁当を」と、その実現のためにがんばられ、議員としての範を示してくださった姿は今でも目に浮かびます。
研究熱心で、ナイター競馬をはじめ、地元・島の内のさまざまな課題に取り組まれ、「こんにちは田村征雄です」の緑のニュースは、地域の方々に親しまれてきました。
若い議員には、「地方自治法を手元に置くように」と導いてこられました。
私たち議員団の要めとして、全力でとりくんでこられたあなたの姿勢を範として、より一層努力することを約束いたします。
本当に長い間、お疲れ様でした。ありがとうございました。
安らかにおやすみください。
日本共産党尼崎市議団 団長 松村ヤス子